九州ヒト・コト・モノ 離島のビールは魚に合う!

全国に「地ビール」の醸造所が創設されたのは30年ほど前。やがて淘汰され、多くの地方のビール醸造所が姿を消したが、実は「地ビール」は「クラフトビール」として今も根強い人気があるという。全国各地で多種多様なクラフトビールが造られる中、長崎県だけが唯一クラフトビール醸造所がない県だった。2021年、長崎県初のクラフトビールが誕生したのは焼酎の島の壱岐だった。
クラフトビール造りへの挑戦

壱岐北部の漁港、勝本港の一画にクラフトビール醸造所「ISLAND BREWERY」はある。築100年を超える木造二階建ての元酒蔵がそれだ。社長の原田知征さんは、かつて焼酎・日本酒を製造していた「原田酒造」の5代目。家業を継ぐため東京農業大学醸造学科で学び、飲食店の社員として経営を学んで帰郷したのが26歳の時だった。
実家は酒類小売業に転じ、原田さんは焼酎蔵6社で創設した組合会社で壱岐焼酎の製造に携わるように。日本初の花酵母で仕込んだ麦焼酎「なでしこ」「玉姫」などを手掛け、社長にも就いた。社内ではクラフトビール製造の話も出た。しかし、海外産原材料の仕入れ値など、大企業に比して資材が高く、販売価格はそのため高くなる。当然、セールスで苦闘し、儲からない。クラフトビール製造に手を出すことに消極的だった。

同じ壱岐の重家酒造の横山太三さんが日本酒造りを再開させる中、原田さんは「壱岐のビールもほしい」という想いが日々強くなっていった。そのため焼酎製造会社の経営から身を引き、クラフトビール製造の準備を始めることに。しかし、父は「ビールだけは止めておけ」と反対した。頑固な原田さんの性格を知っているため、周囲に働きかけて止めさせようとしたという。「外堀を埋めきたんですよ」と苦笑。「でも、父はクラフトビールの悲惨な衰退を見てきて、息子に茨の道を歩ませたくはなかったんでしょうね」とも振り返る。
白麹由来のクエン酸に着目

美しい海に囲まれた壱岐島は新鮮で美味い魚介の宝庫。そして観光地としてマリンレジャーも盛ん。夏の海辺で飲み干すビールは格別だ。そしてそのビールは壱岐のビール。しかも刺身などの魚との相性が良いビールでなければ。離島のハンディキャップから原田さんが考えたコンセプトは「魚に合うビール」だった。
「事業として継続させるには島外にも販路を持ち、長崎県の枠にとらわれないクラフトビールにしなくてはと考えました」。酒席ではまずは乾杯にビールを飲む。その食卓には刺身が並ぶ。しかし、実は生魚とラガー系ビールは食べ合わせの相性が合わず、口中に生臭さが残ってしまう。そこで各地から魚に合うビールを取り寄せ、試飲試食の結果から柑橘系の程よい酸味が魚に合うと気づいた。
柑橘系の酸味にはクエン酸が含まれ、食中酒の白ワインもクエン酸が多く含まれている。白ワインは魚料理に合うとされているのもそのためだ。そして実は壱岐の麦焼酎に使われる白麹菌もまた、クエン酸が多く含まれているのだ。ホップ由来のフルーティーな風味と白麹由来の柑橘系の酸味のビール、ISLAND BREWERYの個性が決まったのだった。因みにその白麹は重家酒造の提供だ。

壱岐の素材でシーズナルビール

原田さんがクラフトビール醸造所を開業して4年余り。当初はコロナもあって思うような島外セールスはできなかったというが、着実に島外の販路も広がっている。島に魚の仕入れに来た寿司屋が気にいって店に置いてくれる。JR九州の高級列車「ななつ星in九州」に採用され、ホテルの高級飲食店のメニューにも並ぶ。
さらに創業時から季節限定のシーズナルビールにも力を入れている。副原料に使用するのは壱岐の生産物。いちごビール、バナナビール、中でもアコヤ貝の「PEARL STOUT(パールスタウト)」は世界でも類を見ないようなビールだ。この「パールスタウト」は原田さんが海外出張で出合った牡蠣の「オイスタースタウト」がヒントだという。
アコヤ貝の身を佃煮にしていたと知り、壱岐の真珠生産者に身を分けてもらってダシを取ったところ、これが美味だった。「すでにパールスタウトという名前が頭の中に降りていて、迷いなく商品化しましたよ。ただし、ダシを取る作業は大変でした」と笑う。
シーズナルビールは現在、30種強を数える。これらのシーズナルビールを楽しみにしてくれる酒販店・飲食店もある。最初の一杯で終わるビールではなく、何度も飲みたくなるビールだからだ。さらにはカステラ再利用のカラメル風味のビールも目下検討中。「自分で作ったものがお客さんに喜ばれるって楽しい。その時間を共有できる、笑顔を作っているって素敵ですよ」。反対していた父は開業準備中に亡くなった。自分が造ったビールを飲んでもらえなかったのは心残りだが、今日も魚料理を前にした「乾杯!」の声を聞くために、クラフトビールを造り続ける。
