熊本地震から8年 蘇りの郷阿蘇の旅へ

熊本地震から8年
人も町も蘇る阿蘇の旅へ

2016年4月14日と同16日、二度の大地震に見舞われた熊本県。その余りの惨状に文字通り胸が押しつぶされるような想いを誰しもが抱いた。尊い人命が奪われ、茫然とする日々がしばらく続いた。あれから8年。阿蘇の人々は立ち上がり、復旧復興の道を突き進んでいる。そしてそれは確実に表れている。そんな復興を確かめに阿蘇を巡ってみた。

熊本地震から8年 蘇りの郷阿蘇の旅へ

「地域の身代わり」となった
阿蘇神社の楼門が復旧

熊本インターから国道57号を経由し、「北側復旧道路」で阿蘇市に向かう。震災後、う回路として使われた県道339号、通称「ミルクロード」にほぼ平行する形で2020年10月に開通したバイパスだ。大津インターと阿蘇西インターをわずか10分で結ぶ。阿蘇西インターで再び国道57号に出て約20分で阿蘇神社に到着。
肥後国一宮の阿蘇神社は約2300年の歴史を持つとされ、全国に約500社ある「阿蘇神社」の総本社。阿蘇を開拓した健磐龍命(たけいわたつのみこと)ら12神が祭られている。熊本地震では国指定重要文化財6棟が被害を受け、日本三大楼門の一つである楼門と拝殿が全壊した。その姿を目の当たりにした地域の人々は悲嘆すると共に、門前商店街に大きな被害がなかったのを「阿蘇神社が身代わりになってくれた」と改めて信仰を厚くしたのだった。(写真提供:道の駅阿蘇)

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阿蘇の信仰の象徴である阿蘇神社の復旧工事は震災直後から始まった。社殿群は江戸時代末期に熊本藩の寄進によって再建されたもので、いずれも200年近い歴史を持つ。中でも楼門は二重門としては九州最大規模。この復旧工事にあたったのは清水建設と福井県の宮大工たちだ。倒壊した楼門を解体し、元の建材を再利用できるものは再利用し、パズルを解くように復旧させていったという。そして昨年12月7日、遂に完全復旧を果たした。
震災から8年。復旧した楼門の壮大な姿を国内外からの観光客が見上げる。拝殿は一足先に2021年6月に新築再建された。楼門向かって左の「還御(かんぎょ)門」はまだ再建中だが、阿蘇神社はほぼ全容を取り戻している。コロナ禍で人出が減った門前町商店街にも活気が戻った。「身代わりになった阿蘇神社」への恩を胸に、参拝客をもてなしている。
阿蘇神社

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自然のありのままの姿
草原と共生する歴史

阿蘇神社を後にして国道57号から国道265号を南下する。目指すは南阿蘇鉄道の高森駅。「人面岩」と呼ばれる岩を過ぎると道はやや九十九(つづら)折れになる。緩やかにハンドルを左右に切りながら、目に映る新緑の山々が気分を爽快にする。草萌える時期ではあるものの、山肌にところどころ茶色い地肌が見える。2012年7月の九州北部豪雨で無数の小さな山崩れが生じ、さらに熊本地震でも斜面崩落した。その傷痕なのだ。しかし、よく見ればそこにも草地が広がろうとしている。あと数年もすればその傷口は緑に覆われるだろう。]

さらに焦げた山肌も見えてくる。阿蘇地方では3月になると野焼きを行う。実は野焼きは阿蘇の草原を維持するのに欠かせない作業だ。枯草を焼き払う野焼きによって害虫を駆除し、新たな芽吹きを促す。豊かな草原が保水力となって河川を潤し、豊かな湧水を生む。草原は微生物や昆虫類、小動物の「家」でもあり、あか牛などの放牧家畜の飼料にもなる。野焼きを止めれば阿蘇の草原一帯はヤブに覆われ、水源も失われ、生態系が狂う。阿蘇で千年以上続く野焼きは、阿蘇の人々にとって自然と共に暮らすための大事な作業なのだ。

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全線復活し、新駅舎も完成 休日はトロッコ列車で

さて、南阿蘇村の高森駅に到着。そして駅周辺の様変わりに驚いた。以前の高森駅舎は木造で、ちょっとレトロでメルヘンチックなデザインの八角形のとんがり屋根が目印だった。聞けばその駅舎は2代目だったとか。元々、南阿蘇鉄道の前身は旧国鉄の宮地線支線。昭和3(1928)年に高森駅が建造されたが、高千穂線とつなぐはずだった路線は戦争による中断やトンネル内の出水で廃止に。国鉄民営化で南阿蘇鉄道の始発終着駅となった。その際に完成したのがあのとんがり屋根の駅舎だったという。

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熊本地震で線路が寸断され、南阿蘇鉄道はJR豊肥線と連結する立野駅から中松駅までが運行休止に。中松駅・高森駅間を1日3往復するだけだった。全線が復旧したのは昨年7月。それに先立って3代目駅舎は昨年4月29日から営業を始めた。新駅舎は白い外観のモダンな鉄筋建築物。ホームのひさしや駅舎内装には地元の木材をふんだんに使い、温もりを与えている。2020年に熊本復興を願って駐車場に設置された「ONE PIECE」のフランキーの像は停車場の近くに移設。列車の出入りを見守っている。観光客に人気のトロッコ列車は原則、土日祝日の2往復運行でGWや夏休み期間は毎日運行する。阿蘇の風を思い切り深呼吸しながら、車窓からの風景を楽しんでほしい。
南阿蘇鉄道

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旧東海大学阿蘇校舎を震災遺構に
震災の記憶を伝える

車は国道325号を西に走り、新阿蘇大橋たもとにある展望所「ヨ・ミュール」に。「ヨ・ミュール」とは熊本弁で「よく見える」という意味らしい。ここには仮設団地内に避難住民の集会所として整備された「みんなの家」の一棟が移設され、トイレとコーヒーなどのテイクアウト店に再活用されている。新阿蘇大橋は震災で崩落した阿蘇大橋の下流600mに2021年3月に完成した。南阿蘇村河陽と立野を結ぶ全長525mの車道・歩道橋だ。眼下には黒川が流れる。

この展望所向かい側に伸びる県道149号を2,3分程度走ると、旧東海大学阿蘇校舎に着く。熊本地震による死者は関連死も含めて272名。その中には東海大学阿蘇校に学ぶ学生たちもいた。「熊本地震震災ミュージアムKIOKU」は倒壊を免れた旧東海大学阿蘇校舎1号館を震災遺構として断層と共に保存、展示する施設として2023年7月15日にオープンした。

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中核拠点施設は「KIOKU」(展示施設)と「震災遺構」(旧1号館建物及び地表地震断層)等で構成。ひしゃげた阿蘇大橋の表示板や土砂の下敷きになって原型をとどめないほど損壊した車など、震災の実情が遺るものや当時の様子を伝える映像を通して、地震の「その時」を振り返ることができる。地面の隆起や亀裂、地面の横ずれが現れた地表地震断層もその目で確かめられる。また、敷地内にはONE PIECE熊本復興プロジェクトで立てられた「ロビン」の像が設置されている。
熊本地震震災ミュージアムKIOKU

犠牲者への祈り、復旧への願い
自然と共に生きる蘇りの郷

旅の締めくくりに新阿蘇大橋を渡り、旧阿蘇大橋があった場所へ。国道57号沿いに設けられた「数鹿流崩(すがるくずれ)之碑展望所」。ここは旧阿蘇大橋が黒川両岸の山肌もろとも崩落した場所だ。橋を走行していた一人の若者が命を奪われた。その犠牲を悼み、震災復旧を成した記念碑「数鹿流崩之碑」が立つ。碑の先の対岸には、崩壊した橋げたと橋の一部が崖壁に垂れ下がるように残っているのが見える。震災遺構として後世に伝えるため、被災当時のままの状態をとどめているのだという。(旧阿蘇大橋崩落現場写真提供:国土交通省)
かつて阿蘇大橋から眺められた「数鹿流ヶ滝(すがるがたき)」を見るには、この「数鹿流崩之碑展望所」から国道下の遊歩道を歩いていくことに。「日本の滝百選」に選定され、落差60m、滝幅20m、滝つぼの広さは約3000㎡ある。大きな滝音と共に黒川に流れ落ちる様子は豪快そのもの。
阿蘇は大自然が人を引き付ける。そして自然の恵みと共に時には脅威にもさらされる。阿蘇に暮らす知人が言った。「阿蘇の人間は太古の昔から火山と一緒に生活してきた。自然災害に遭っても阿蘇から離れず生きてきた」。阿蘇と共に生きる覚悟と強さ。それがあるから人も町も復旧復興の歩みを止めない。熊本地震から8年。阿蘇は蘇りの郷だ。

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