春先にGo To!教会と椿の五島へ!

 東シナ海に浮かぶ大小140余りの島々から成り立つ五島列島。南北80キロにも島が連なり、現在有人島は27島だという。その中で五島市は五島列島最大の福江島と久賀島(ひさかじま)、奈留(なる)島を有している。絶景の海と教会、そして1月から咲く椿が美しい。五島市を旅するなら今がお勧めだ!

潜伏キリシタンが移り住んだ島

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 福江港や福江空港(五島つばき空港)から車で約20分、堂崎地区の小さな入江に堂崎天主堂は建つ。江戸時代、五島列島には潜伏キリシタンが移住し、禁教弾圧を耐え忍んだ。堂崎はカトリック禁教が解かれた後、明治10年(1877年)に五島初の司祭・マルマン神父が常駐した。その際、彼が建てた五島初の天主堂は木造だったという。
明治41年(1908年)に献堂された現在の教会は二代目のペルー神父が設計し、数多くの教会建築を手がけた長崎の名大工鉄川与助らが施行した。資金は神父の故郷フランスからの援助と、信者たちの浄財で賄われた。かつては入江に小舟を着けて信者が通ったというが、現在は長崎県登録有形文化財に指定され、「堂崎天主堂キリシタン資料館」になっている。さらに余談だが、2025年1月公開の映画「孤独のグルメ」のロケ地にも。

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 教会脇の石段にあるレリーフはこの地を治めた宇久淡路守(うくあわじのかみ)純定(すみさだ)が西洋医療を受け、入信したいきさつが表されている。時は1566年1月。信者は2千人以上となったが、わずか31年後の1597年、豊臣秀吉の命で26人の信者が磔(はりつけ)に。その中の一人が五島出身と伝えられる19歳の「ヨハネ五島」だった。彼の聖骨は天主堂に安置され、彼の磔の像が教会前にある。教会入口の向かいには、子供らに寄り添い、穏やかな表情を見せるマルマン神父とペルー神父の銅像が。「復活の夜明け」の副題を持ち、1873年の禁教廃止から始まった信仰の復活が刻まれている。(※教会内部の一般撮影は固く禁止されています)

堂崎天主堂
所在地 長崎県五島市奥浦町堂崎2019
電話 0959-73-0705
営業時間 9:00~17:00(11月11日~3月20日は~16:00)
休日 12月30日~1月3日
料金 大人300円、中高生150円、小学生100円 

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 堂崎天主堂から戸岐湾へ抜け、入江から細い山道を走る。やがて一気に視界が開けて美しい半泊湾が目の前に広がる。福江島北部の半泊(はんどまり)地区は長崎の外海(そとめ)から信者が逃れてきた。しかし、土地があまりに狭く、半分は三井楽(みいらく)に移住し、半分がこの地に留まったという説がある。半泊教会は1922(大正11)年に、アイルランドからの寄附と信徒たちの貧しい生活の中からの労働奉仕によって建てられた。施工はやはり鉄川与助で、小さな木造建築ながら、三廊式のすっきりとした教会だ。内部には装飾を抑えた祭壇があり、白い壁と水色の柱が清楚な雰囲気を漂わせる。そして教会の前の半泊の海の景色にも心を洗われる。山道の上から見た湾の景色同様、「美しい」としか言いようがない。(撮影は関係者の許可を得ています)

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 一方、半泊に上陸した潜伏キリシタンの半数、14家族78人は三井楽に移住した。現在、同地には三井楽教会があり、海辺には「渕ノ元カトリック墓碑群」がある。十字架を載せた墓が並び、マリア像が静かに見守っているかのようなカトリック墓地。洗礼名が刻まれ、祈りを捧げた名もなき人々の歴史をしのぶことができる。夕暮れになると、茜色に海が染まり、黄金の日が沈む中に浮かび上がるマリア像と十字架のシルエットは、あたかも宗教画のような荘厳な景色を見せてくれる。

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半泊教会
所在地 長崎県五島市戸岐町半泊1223
電話 095-846-4248
見学時間 9:00~17:00、冬期~16:00(※教会行事がある場合、または鍵がかかっている場合は不可)

渕ノ元カトリック墓碑群
所在地 長崎県五島市三井楽町渕ノ元628

日本一の椿の島、幻の椿咲く島

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 さて、五島列島は教会建築群と共に、藪椿の木が約1千万本あることも自慢。その量は日本一とも言われ、「東の大島、西の五島」とも呼ばれている。そのため市内のいたるところで椿の花を目にする。また、椿の花は五島の教会のステンドグラスやレリーフにも用いられることが多い。先の半泊教会の天井にも椿をモチーフにしたレリーフがある。堂崎天主堂や宮原教会、渕ノ元カトリック墓碑群がある三井楽教会の周辺などを始め、教会近くに椿の群生林があるところも少なくない。
 小ぶりの五島藪椿を中心に、藪椿、侘助、二段咲きの源氏車など、品種もさまざま。椿は250種以上の品種があるとされ、藪椿と一口に言っても「紅湖畔」「旅情」「紅栄」などの品種名を持つ。その中でも世界的にも有名な椿の品種が「玉之浦椿」だ。戦後間もなく福江島の玉之浦地区で発見された。赤い花びらに白い縁がついた椿はそれまでにない品種だった。瞬く間に評判になり、世界中の椿愛好家から求められるように。その結果、無断で枝や根を切られ、母木が枯れ死んでしまった。幻の「玉之浦」はその後、原木の子孫は世界中で品種改良されているという。

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 五島の人々にとって、椿の花は島のシンボル的な花であると同時に、高価な椿油を得る大切な資源でもある。江戸時代には収穫量の少ない米に代わって、椿油が年貢として幕府に献上されていたという。1㎏の種から搾り取れる油は300cc。オレイン酸、リノレン酸などの有効成分を含み、食用油としてヘルシーなだけでなく、保湿力にも優れることから基礎化粧品や美髪剤にも使われている。さらに、五島名物の「五島うどん」の麺にもこの椿油が練り込まれ、のど越しツルツルの食感を出しているのだ。

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 1月から3月の椿の季節に五島市を旅するなら、各地の椿公園や群生林などをぜひ訪ねてほしい。五島市では椿祭りなどもあり、様々な品種の椿を見るチャンス。また、体験工房などでは一年中、椿油搾りの体験ができる。椿油のお土産を購入するのも良いだろう。2025年の「五島椿まつり」は2月22日(土)から3月2日(日)まで。

五島市椿まつり実行委員会事務局(一般社団法人五島市観光協会内)
電話 0959-72-2963

どこまでも青く美しく、五島の海

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 福江島をはじめ、五島の島々の自慢はその美しい海景色でもある。単に透明なだけでなく、エメラルドグリーン、コバルトブルー、群青色と時間や天候、場所、日のあたり加減で色合いも異なり、正にインスタ映えの海満載だ。福江島の西側にある「高浜海水浴場」は、白い砂浜が日本一美しいと言われ、「日本の渚100選」「日本の快水浴場100選」に選ばれている。「魚籃(ぎょらん)観音展望所」からの眺望も観光客に人気。
そこから南下して大瀬崎へ向かうと、そこには「日本の灯台50選」に選ばれ、映画「悪人」のロケ地にもなった大瀬崎灯台と大瀬崎断崖の絶景が!高さ100~150mある断崖絶壁の大瀬崎の上に建つ灯台は3700カンデラ光度で、近海の船の道しるべとして約22km先まで照らす。九州本土で最も遅い時間に夕陽が沈み、「日本の夕日100選」にも選ばれている。駐車場から灯台まで遊歩道があるが、斜面を上り下りするため往復で1時間を要する。スニーカーなどがお勧め。

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 「香珠子(こうじゅし)五島椿物産館」がある香珠子には「香珠子海水浴場」があり、椿の群生林を抜けて海岸に出られる。夏は海水浴と共にそうめん流しが楽しめる人気スポット。また、白い砂浜、コバルトブルーの海だけではなく、溶岩流でできた荒々しい海景色も。それが香珠子海水浴場から近い「鐙(あぶん)瀬(ぜ)溶岩海岸」。近くの鬼岳(おんだけ)火山が噴火した際、溶岩がこの海に流れ込み、約7キロにわたって複雑な海岸線を形成した。海面に顔を出す黒く尖った溶岩は、波穏やかな日には静かにたたずみ、荒れ狂う波を受ける日は波と格闘しているかのようだ。五島の海の美しさこそ宝であり、訪れる人を魅了する。

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世界遺産の久賀島と奈留島で教会巡り

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久賀島の田ノ浦港へは福江港あるいは奥浦から「木口汽船」の船で渡る。1日全4往復片道20分ほど。そのうち車両航送できるフェリーは1往復のみ。島内の公共交通機関はないので、あらかじめ久賀島のタクシーを手配しておくのがお勧めだ。
 田ノ浦港からほど近い浜脇には明治14年(1881年)に木造の初代「浜脇教会堂」が建てられた。後述の最後の弾圧を生き延びた信者が悲願をかけて献堂したものだった。昭和6年(1931年)に五島初の鉄筋コンクリート造りの教会に。田ノ浦瀬戸を見下ろす高台に建ち、白亜の美しい姿が五島の景色と相まって映える。内部にはゴシック様式の祭壇を持ち、淡いピンクで縁取りしたリブ・ヴォールト天井が目を引く。
 2018年に潜伏キリシタン関連遺産に登録された「久賀島の集落」は久賀湾に面している。田ノ浦港からは車かタクシーで。「牢屋の窄(さこ)殉教地」があり、明治元(1868)年の最後のキリシタン受難を物語る。島内の老若男女の信者200名余りが捕らえられ、火責め、水責め、算木責めの激しい拷問の末、全員が12畳の牢に8か月間も押し込められたという。圧死する者、餓死する者が続出。その中には幼子たちも含まれていた。「五島崩れ」と呼ばれる最後の激しい弾圧だった。
 この弾圧で明治政府は欧米から強い批判を受け、禁教を解くきっかけになったという。牢屋跡は「牢屋の窄殉教地」となり、殉教者42名の墓碑銘が並ぶ。昭和59(1984)年には「殉教記念教会堂」が建てられ、毎年10月最終日曜には殉教祭が厳かに行われる。この日には島内外から信者や巡礼者が集まるという。

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 「旧浜脇教会堂跡地」や「牢屋の窄殉教地」など、島内9か所が「久賀島の集落」の重要ポイントだが、一部は車での立ち入り不可能な場所も。その一つが島の東端にある五輪地区。車両進入が可能な場所まで行き、そこからは徒歩で山道を進むことになる。
 五輪地区も外海から移住してきた潜伏キリシタンの集落だった。現在の住人は僅か4人。新旧二つの教会があり、現存する旧五輪教会堂は初代浜脇教会堂を昭和6年(1931年)に移設したもの。国重要文化財に指定された簡素な木造教会であり、建設には地元大工で仏教徒の平山亀吉が携わった。信者たちは板張りの床に正座して礼拝をしなければならず、「説教の短い神父は良い神父」と言っていたとか。実はミュージシャンの五輪真弓さんの父の出身地であり、クリスチャンの祖父はこの教会でオルガンを弾いていたという。近くの五輪墓地も世界遺産の構成資産だ。
 旧五輪教会は現在礼拝堂としては使用されておらず、昭和60年(1985年)に建てられた鉄筋コンクリートの新五輪教会が使用されている。

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 一方、奈留島は「江上集落」が世界遺産だ。久賀島からだと新旧の五輪教会脇の入江から海上タクシーで向かうことになる。こちらも事前予約が必要になる。福江島からであれば福江島・奈留島を結ぶ船は五島旅客船が1日に6往復運航。車両運搬可能なフェリーは3往復している。
奈留港から「江上集落」は18世紀末に潜伏キリシタンがこの集落に移住し、明治14年(1881年)に集落全体がカトリックに復帰した。明治35年(1906年)、初代の江上教会堂が建てられたが、木造でも頑丈な教会がほしい。
 そんな信者の願いを受けて鉄川与助が現在の「江上天主堂」を建てた。信者たちも柱や窓ガラスなどに、手書きの木目や花模様などを施し、大正7年(1918年)に献堂。湿気を避けるため高床式にしているのが特徴だ。木目を生かした柱やリブヴォールド天井の梁が木造ならではの落ち着きを見せている。小ぢんまりとして、女性好みのどこか可愛い外観を見せている。国重要文化財。
 因みに奈留港周辺も2025年1月公開の映画「孤独のグルメ」のロケ地。地元の食堂「みかんや」のチャンポンが登場するので、立ち寄ってみては?

五島市観光協会公式サイト
木口汽船公式サイト
五島旅客船公式サイト

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