アートに美酒にグルメ!熊本県津奈木町の旅
現代アートと出合う 美味し酒と食に出合う
熊本県津奈木町は県南部の芦北町と水俣市の間にある。三方を山に囲まれ、西の八代海(不知火海)に面して町が開けている。その昔、景行天皇が南九州遠征を行った際、その船を「おつなぎになった」ことから「津奈木町」の名がついたとされる。人口4000人余りの小さな町。しかし、そこは知る人ぞ知る現代アートの町であり、地元に根付いた食の魅力がある。
水俣病からの再生を誓う アートによる町づくり
津奈木町の南隣は水俣市。そのことからも分かるように水俣病は、かつてこの町にも深刻な影を落とした。水俣湾に流れたメチル水銀は八代海沿岸に広がり、町にも水俣病患者が出た。そして風評被害にもさらされることに。水俣病で傷ついた町を再生する。その命題に時の町長らが取り組み、昭和59年(1984年)にスタートしたのが「緑と彫刻のあるまちづくり」だった。医師であり、美術愛好家でもあった町長は「アートによる水俣病からの地域再生」を目指した。
同年、役場庁舎新築と同時にエントランスに女性裸婦像「若い女」を設置。さらにあけぼの橋架橋と同時に「爽風」を橋の欄干に設置し、ほぼ1年おきに新作を町内各所に設置していった。現在、7人の作家による16点の彫刻・オブジェを見ることができる。そのうち先の「若い女」から晩年の作品「牧歌」まで半数8点を岩野勇三の作品が占める。著名な彫刻家佐藤忠良(ちゅうりょう)の作品は平成3年(2001年)に開館した「つなぎ美術館」前の「トルソ」を含め3点がある。
これらの彫刻作品は町の景色に溶け込み、今や町に暮らす住民にとっては当たり前の景色。しかし、よそから来る者にとっては「こんな小さな町になぜ美術作品が多いのだ?」という驚きを与える。現に筆者もその一人だ。この町に際立った観光資源はない。だからこそ、知る人ぞ知る魅力を秘めている。
無用の石から発する言霊 瞑想で魂と語らう廃校の宿
現代アートによる町づくりは今も続く。令和元年(2019年)から3年間の住民参画型アートプロジェクトでは福岡県出身の世界的な現代美術家・柳幸典氏を招へい。「柳幸典つなぎプロジェクト」は「つなぎ美術館」開館20周年に向けた企画だった。水俣病の悲劇を背負う町でありながら、水俣病を世に広めた写真家ユージン・スミス氏や作家石牟礼道子氏の作品を展示する施設もない。そのことに衝撃を覚えた柳氏は町役場近くのイチョウの森に目を付けた。
イチョウの森横の更地に大小約120個の石を点在させ、なんとそのクサビ跡の割れ目から人声を発するようにしたのだ。石の間を歩くと水俣病患者の証言や石牟礼道子氏の詩の朗読などが聞こえてくる。それが「石霊(いしだま)の森」である。そしてイチョウの木の枝には黄金色の仏像が彫られている。名づけて「達仏(たつぶつ)」。全部で33体ある。生木に彫られた仏たちはイチョウの木が枯れない限り、そこで祈りの姿を見せ続ける。(石霊の様子は下の動画で!)
さらに海辺の赤崎地区では廃校のプール周辺を無人の宿泊施設「入魂の宿」に。平成22年(2010年)3月に閉校となった旧赤崎小学校は、校舎がまるで海に浮かんでいるように見え、かつて児童たちは廊下の窓から釣りを楽しんでいたという。傍らに浮かぶ弁天島は干潮時は歩いて渡れる。
子供たちの歓声が消えたプールをビオトープにし、その中央にスロープを設けて徐々に水中へと移動するような感覚を与えてくれる。かつての更衣室跡には黒塗りの小さな宿泊室2室と瞑想室を建設。1日限定1組の宿は石牟礼道子氏の詩の題名から「入魂の宿」と名づけられた。あのビオトープのスロープは不知火海であり、そこに息づく植物・生物を目の当たりにしながら魂を海へと入れることを示しているのだ。
宿の入口奥の黒い扉を開けると海を望む小窓が見える。そのガラス窓には光の反射により「入魂」の一節が浮かぶ。「黄昏の光は凝縮され、空と海は、昇華された光の呼吸で結ばれる」。瞑想室の合わせ鏡のような部屋の窓にも「そのような呼吸のあわいから、夕闇の陰りが漂いはじめると、それを合図のように、海は入魂しはじめる」。客室以外の小窓は黒い壁に開けられ、そこから弁天島などをまるで絵画のように眺められる。
瞑想室にある小さな机と椅子。旧小学校で使われていた机と椅子であり、微笑ましいたたずまいを見せる。ここには少数ながら石牟礼道子氏の著作本とユージン・スミス氏の写真集がある。喧騒を離れ、不知火海の波の音に耳を澄ませ、石牟礼道子氏の詩の世界に浸る。五感を研ぎ覚まさせてくれる大型屋外アート、それが「入魂の宿」なのだ。
入魂の宿データ
所在地 熊本県葦北郡津奈木町福浜167-2
電話 0966-61-2222(つなぎ美術館)
開館時間 10:00~16:30(16:00最終入館)
休館日 水曜日
入館料 1,000円(未就学児は不可・小中学生は保護者同伴)
※入館はつなぎ美術館受付で現金払い、または下記サイトより事前予約を。宿泊は3日前までに同サイトから。
入魂の宿公式サイト
酒造りは米作りから 仕込みは氷結仕込み
さて、津奈木町には酒蔵が一軒ある。国道3号に面して立つ「亀萬酒造」だ。創業は大正5年(1916年)と100年余りの歴史を持つ。焼酎圏の鹿児島県に近接しながら、純然たる日本酒蔵として以前は「日本最南端の酒蔵」の看板を掲げていた。現在、三代目の竹田珠一氏と四代目の瑠典(りゅうすけ)氏が蔵を守る。
竹田家は医師の家柄だったが、創業者の竹田珍珠は三男坊で医業を継ぐ気はなく、治療代として患者が置いていく米で酒造りを思い立ったという。当時は県南部とはいえ、冬は膝まで積雪するほど寒かったのも日本酒造りに有利だった。「にごり酒と料理酒でしたが、水俣のチッソが得意先でした」と瑠典さん。他に鹿児島地方が主な販売先だった。
瑠典さんは東京農大を卒業後、栃木県の酒蔵で修業をした。実家の蔵に入ったのは11年前。以来、父の珠一さんと共に酒造りに励むが、父とは異なる「革新」も目指す。そのためか「父とは意見が対立します。特に酒米づくりでは一番ケンカしますね」と苦笑い。「米は買うもの」という珠一さんに対し、瑠典さんは「いい米を作る」ことにこだわる。
県の指導を受けながら農家出身のスタッフと共に山田錦を栽培して8年目。「米から作るとスタッフの意気が上がる。唯一無二の酒ができる」と笑みを浮かべる。地域の米、水、土壌がもたらす酒こそが、酒造りの原点という誇りが感じられる。
さて、暖冬の現代は日本酒造りに影響を与えている。亀萬酒造は水源の水を製氷し、それを仕込みに使う独特の「南端仕込み」を行う。醪(もろみ)の発酵熱を冷まし、良い発酵を促すことで雑味の少ない、辛口の純米酒ができる。「醪をゆっくり発酵させると香りが出るんです」。純米吟醸の「萬坊」(1,800㎖4,200円・720㎖2,100円・300㎖850円)は2022年と2023年、パリの日本酒コンクール「KuraMaster」でプラチナ賞を連続受賞。家業としての酒造りを四代目として着実につないでいる。
亀萬酒造データ
所在地 熊本県葦北郡津奈木町津奈木1192
電話 0966-78-2001
営業時間 9:00~17:30
休業日 無休
亀萬酒造公式サイト
旅の締めくくりは やはり美味い土産探し
美味い酒を土産にして、食の土産も欲しくなる。漁師夫婦が作る美味い魚の茶漬けあると聞き、平国漁港へ向かう。出迎えてくれたのは「平国丸」の濵田輝久さん・亜美さん夫婦。漁師の魚の取り引きは不安定なことから、元寿司職人を助っ人にし、夫婦二人で加工場を始めたという。コロナが始まった令和元年のこと。茶漬けは鯛、太刀魚、カマスなど刺身に切り、自家製ダレにつけてそのまま瞬間冷凍に。
早速太刀魚の茶漬けを開け、ご飯の上に盛ってくれた。「タレはその魚で取った出汁を使っているよ」「それに米麹の甘酒と長島(鹿児島県長島町)の醤油を加えたタレたいね」「すぐに食べると魚の身がコリコリっとして。少し間を置いて食べると漬けが染みた味になるよ」と二人で説明してくれる。なるほど、なるほど確かに。通販の茶漬けセット6種入り(4,100円)は季節によって魚種が変わるが、太刀魚と鯛は通年で出す。
「これも良かったら食べてみんね」と輝久さんが太刀魚の串焼きを差し出した。太刀魚がパリッと香ばしく、身はふっくらと焼き上がっている。美味い!太刀魚の串焼きは熊本の番組で取り上げられ、百貨店の催事で売り出す機会に恵まれて爆発的ヒットしているという。催事では串天ぷらで出すが、やはり焼いて食べるのが本領発揮。亀萬の酒ともすこぶる相性が良さそうだ。
それにしてもこの夫婦、とても明るくラブラブだ。聞けば亜美さんは福岡市の出身。輝久さんは地元で生まれ育ち、福岡市で大工をしていたという。「実家がここの漁師なんでね」。「大工の妻がまさか漁師の妻になるなんて思わなかった」と亜美さんが笑う。茶漬けも串焼きも、そして夫婦もいい味出しているな。
平国丸オンラインショップ
海の幸で言えば、冬ならカキも見逃せない。津奈木町のカキは1月から4月が旬。この時期は平国漁港近くの高台の廃校跡に津奈木漁協の「つなぎオイスターバル」がオープンする。不知火海で育ったカキは小ぶりだが、旨味が凝縮されて非常にクリーミーだという。そしてこのバルで使われるバジルオイルが評判に。水俣産バジルと津奈木の養殖ガキ、黒糖などを使用し、バゲットや野菜のディップソース、パスタに絡めてもいい。期間中以外は町中心地にある「つなぎ百貨堂」で売られている。1瓶1,080円。
そしてこれも忘れてはならない。洋菓子店「あん・さんく」の「祝杯プリンhare」(1個378円)だ。すっきりとしたデザインの白い小さな猪口に入った酒粕プリン。そう、あの亀萬酒造とのコラボで生まれたデザートだ。しっとり滑らかな食感はもちろん、ほんのり酒粕の風味が口の中に広がる。プリンの底に無農薬の黒糖を一粒入れており、それが自然と溶けてソースになっている。なんとも心憎い。2個入り箱1,080円、4個入り箱2,000円。
津奈木町は実に小さな町だ。しかしよく見ると実に中身が濃い。旅のエッセンスがぎゅっと濃縮され、訪れる人をそこにつなぎとめる。
つなぎオイスターバルデータ
所在地 熊本県葦北郡津奈木町福浜3503
電話 0966-78-2015(津奈木漁協)
営業期間 1月~4月末の土日祝日
営業時間 11:00~16:00
つなぎ百貨堂
所在地 熊本県葦北郡津奈木町岩城1601
電話 0966-78-2000
営業時間 9:00~18:00
休館日 第一水曜日
つなぎ百貨堂公式サイト
あん・さんく
所在地 熊本県葦北郡津奈木町小津奈木2113-88
電話 0966-78-2472
営業時間 10:00~19:00
休業日 水曜日
あん・さんく公式サイト